Livres en japonais 日本語の書物

教員・研究者としてこれまでに上梓した日本語の書物

幸福への意志 – 文明化のエクリチュール

みすず書房,1994, 11月

モーツァルトは走る。宮廷の豪奢には目もくれず,しかもいまだ近代人の苦悩とも無縁に、彼はただ一度限りの傷つきやすい瞬間を呼吸する.18世紀の歴史は,このモーツァルト的な中間性の主題を秘めて展開したのではなかったか.封建社会の遺制と,市民社会の兆候が重なり合うなかで,そのいずれの悲惨からも自由であろうとする意志が,限りなくあやうい均衡のうえに,つかのまのきらめきを見せる.ディドロ,ボーマルシェ,そしてとりわけルソー.進行する〈文明化〉の過程の刻印は,テクストにどのように押されているか.文学と歴史の交差する地点に視座を置き,両方の文脈を重ねることを通じて,著者はこの世紀の深みへと読み進む.市場経済の波濤を目の前にして発せられた最後の問い.〈自然〉と〈社会〉のはざまにルソーが見ようとした「世界の真の青年期」とは何か.そして〈家族〉の幸福のゆくえは……?
「現代のあらゆる企て,あらゆる問題の背後には,18世紀の存在が控えている」(J.スタロバンスキー).

ドン・ジュアンの埋葬 — モリエール『ドン・ジュアン』における歴史と社会

山川出版社,1996, 9月

​ドン・ファン(ドン・ジュアン)—かの有名な女たらしを主人公にしたモリエールの激越きわまりない戯曲が初演されたのは,1665年2月のパリにおいてであった.ルイ14世による絶対王制のさなかのことである.この途方もない作品をゆっくりと,そして何よりもていねいに読み解くことによって,わたしは,そこに近代国家と市場経済システムがまるで双子のように産み落とされた時代がどのように書き込まれているかを見届けたいと思った.しかし,注意してほしい,ここで過去と異邦に向けられるまなざしは,たんなる消費のための知的興味に発するそれではない.17世紀フランスに出現した『ドン・ジュアン』というたぐい稀なテクストをその歴史的地平において読む行為は,同時に,いまわたしたちが,そしてあなたがどのような歴史的地点に立っているかを了解する作業にほかならないからである.

公衆の誕生,文学の出現
— ルソー的経験と現代

みすず書房,2003, 4月

絶対王制の確立はヨーロッパの知的風景に大きな変化をもたらした.ラテン語という共通言語の時代は黄昏を迎え,フランス語による書物の広範な普及を背景に、議論する「公衆」が登場し,力を持ち始めていた.本書はまず,デカルト,モンテーニュ,ヴォルテールらによる例をあげながら,名詞 public の意味が変容していくさまを精緻にあとづける.
『百科全書』の企ては啓蒙された読者=公衆の存在なしにはありえまい.文芸人は何よりも「会話の人」と定義された.ところが,この公論の時代のただなかに「人が集まるなかでどうしてすすんで話ができるのか,わたしには理解できない」と告白する人物がいた.彼は社交的世界での成功が手に入ろうとする瞬間,そこから逃走してしまう.ジャン=ジャック・ルソーという徹底的に異質な才能は,広がりゆく公衆の言語空間に何を見ていたのか.『告白』と『対話』のテクストを通じて,公共的世界からのルソーの意図的脱出の意味がここに明らかにされる.
われわれの生活を覆い尽くす広告的言説の洪水のなかで,現代人が取りうる戦略とは何か.ルソーの〈声〉はその可能性をどのように示してくれるだろうか.『幸福への意志』につづく刺激的な論考.

『カンディード』〈戦争〉を前にした青年

2005年,7月

「すべては最善の状態にある」と説く師の教えを無邪気に信じるカンディードには,〈戦争〉の現場も調和した光景に見えています.18世紀の作家ヴォルテールが描く〈戦争〉に直面した若者の場面をテクスト分析の手法で読み解くこの授業で,「読む」スリルと「共振」のダイナミズムを感じてください.

モーツァルト《フィガロの結婚》読解

2007年,6月

「《フィガロの結婚》を啓蒙の模範的な、そして最高の達成のひとつとしてとらえるのがわたしの立場である.(……)わたしには、モーツァルトの音楽、なかでも後期のブッファの傑作群と、ヨーロッパ啓蒙主義,特にフランス18世紀の哲学者たちによる「ユマニスム」の創造と実験を経て,フランスに〈共和国〉というまさに多様性と統一性の同時的な実現を目指す共生の形式が生まれたという事実のあいだには,まことに意義深い平行関係が存在するように思われるのだ.」(本文より)
男女の結びつきが家父長制と宗教に縛られ、男性成人のみが家長の資格において政治社会のメンバーと認められた近世身分制社会に、フィガロとスザンナという政治的公共圏の外に追いやられた二人を物語の中心に据えた,フランスの戯曲作家ボーマルシェの『フィガロの結婚』.この作品が胚胎する身分制的・世襲制的な秩序の解体へのエネルギーを,ダ・ポンテの台本とモーツァルトの音楽は,意志的に作られた新しい公共的な世界としての〈共和国〉への飛翔へと,みごとに解き放ってみせた.その途方もない新しさは,どのような音楽的彫琢によって生み出されたのか.リブレットとスコアにつねに立ち戻りながら、戯曲とオペラ両作品の繋がり,そして懸隔を確かめ,オペラ《フィガロの結婚》の魅力と秘密を,詳細かつダイナミックに描いた,類のないテクスト読解.

思想としての〈共和国〉【増補新版】

2016年,6月

「日本国憲法の根底にあるのは実は「市民的公共権力による自由」を追求する共和国の精神なのであり,にもかかわらずその解釈と運用は,初発の美濃部憲法学のときからしてすでにそこからの逸脱であり,「国家からの自由」への横滑りであった…」(「あとがき」)

安全保障関連法が施行されたなか,旧版で集い,市民社会と法思想を論じた著者は,再び日本の民主主義を問い直すために結集した.主権は,われわれ国民にある,近代国家を否定する相手と闘い,壊れゆく日本社会を救う手立てを考えなければならない,と.フランスの〈共和国〉思想から何を学び,日本のデモクラシーにどう活かすのか.そして,日本社会の独自性を問い,いかに問題提起をなすべきかを論ずる.法,社会,政治,思想…いまこそ,日本の民主主義をあらためて問わねばならない.
「すべては,人民をつくる政治的結合からはじまる」(水林章),「比較憲法史論の視座転換と視野拡大」(水林彪),「水林彪論稿に寄せて」(樋口陽一),「「増補新版」のためのあとがき」(水林章),以上四稿が増補に際する新稿,計70頁.

学校の悲しみ Daniel Pennac, Chagrin d'école, Gallimard, 2007 の翻訳

2009年,11月

〈ぼくは兄に言った.学校についての本を書こうと思うと.学校といっても,この川のように変化する社会のなかの変化する学校ではなく,この絶え間ない激しい動きのただなかにあって,まさに変わらないもの,誰も決して語ろうとしない恒常的なもの,つまり劣等生と親と教師が分かち合う苦しみ,そう,たくさんある「学校の悲しみ」の相互作用についての本だ.……〉
「マロセーヌ・シリーズ」など,多くの作品がフランスをはじめ日本でも広く読まれているダニエル・ペナック.そのペナックが,60歳を過ぎて初めて,劣等生だった自身の少年時代を振り返り,文章に紡いだ.宿題ができなかった言い訳の嘘を重ねることにエネルギーを使い果たし,机に向かう力など残らない子供たち.勉強が何の役に立つのかわからず,教室にいながら心はよそへ行っている子供たち.彼らにとっての今・ここである教室に安住させるために教師には何ができるのだろう.
自身の癒しがたい苦痛の記憶を基調に,かつての自分の分身ともいえる生徒たちを教えた教師時代の経験を織り交ぜ,現代の教育制度や消費社会の歪みにまで斬り込んだ本書は,2007年度ルノドー賞に輝いた.